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滴天髄を読む

00. なぜ滴天髄なのか 
01.通神論
02.天干論
03.地支論
04.干支総論
05.形象論
06.方局論
07.普通格論
08.従化論
09.順逆論
10.体用論
11.八字総論
12.六親論
13. 富貴貧賤吉凶寿夭論
14.性情論
15. 疾病論
16. 出身・地位論
17. 女命・小児論

10.体用論

1.道有体用 不可以一端論也 要在扶之抑之得其宜

道に体と用あり。一端をもって論ずるべからず。要はこれを扶養するか、抑えるか、その宜しきを得るにあるものなり。

八字において体と用はさまざまに用いられます。一つの例に収まりません。しかしながら、要点は一つで、目的とする中和を得るためには、扶抑することに尽きます。扶抑とは不足するものを扶助、補い、過ぎたるものを抑えることです。

体と用の主な重要な視点は以下の通りです。
①日主を体として、月令提綱の府を用として日主の強弱を判定する。
②命式を体として、用神を用として,命式の吉凶禍福を見る。
③命式を体として、大運、太歳を用として長期、短期の運命の流れを見る。

特に②用神の用いるは重要で、用神を命式の格、構造を前提に扶抑、調候、病薬、専旺、通関の視点(徐楽吾氏による)から選定し、用いていきます。

2.人有精神 不可以一偏求也 要在損之益之得其中

人には精神がある。一に偏って求むることは不可なり。要はこれを損じ、これを益して、その中を得るにあり。

1.の道が有形のものであるのに対して、精神は無形のものです。道が体用について構造的な観点から取り上げるのに対して、精神は体用を前提に、それを見るための基準になります。偏ることは不可であるとしています。中和の視点から、損じること、益することを両方用いて、中間を取ることが大事であるとしています。

3.月令提綱之府 譬之宅地 人元為用事之神 宅之定向也 不可以不卜

月令は提綱の府なり。これをたとえるに宅なり。人元の用事の神をなすは、宅の定向なり。もって卜せざるべからず。

月令は提綱の府です。これを喩えると宅になります。人元の用事の神をなすは、宅の定向です。
これをもって命を判断していきます。
提綱は天秤、つまり判断尺度、基準です。府とは倉。月令、その月に最も旺相している干をもって命を判断する基準点とするということです。月支は宅、住居です。そこに運命の主が住んでいるのです。支には蔵干があります。この蔵干をもって運命の主が住居から出て行く方向性を定めます。蔵干をどのように運命の軽重、判断基準に結びつけるかというと、月令を定めている旺相死囚休という季節の循環律をもって結び付けます。

4.生時帰宿之地 譬之墓也 人元為用事之神 墓之穴方也 不可以不弁

生時は帰宿の地なり。これをたとえるに墓なり。人元の用事の神をなすは、墓の穴にあたるなり。
もって弁せざるべからず。

出生時間は帰宿の地です。これは墓に喩えられます。
一つの意味としては、時干支(時柱)は晩年を表すものです。その人の人生の帰結を見るところとなります。日主と時干支の関係を見て、その人の人生の終わり方を推察することが出来ます。
もう一つの意味としては、出生時間を正確に八字に反映することは、死に至るまでの道を定めること、その道の内容を知ることと同じです。また時間の正確さが重要である理由として、天干の根として最も重要な働きをするのは時支であることと、人の晩年を表すのも時干支であることを議論の外に置いてはなりません。(出生時間を度外視して八字を見ることはありえません)

5.能知衰旺之真機 其於三命之奥 思過半矣

よく衰旺の真機を知りうれば、その三命の奥において思い半ばをすぎるなり。

衰退しているときはエネルギーを与え、旺じているときはエネルギーを漏らすようにする。扶抑を判断することと、扶抑を行う適切な時期を知ることが出来れば、命理の奥義の半分を得たことになります。


6.既識中和之正理 而於五行之妙 有能全焉


既に中和の正理を知る。五行の妙において全てをよくするものなり。

命式、大運において、特定の五行に偏りすぎることは一種の病です。この病を克服するために扶抑、中和という考え方があります。 中和は扶抑ということの他に、争いがないということを含みます。争いがないとは、剋戦がないということです。命にいかにして平和をもたらすか、それが大事になってきます。そして特別格においても中和の考えは適用されます。偏った状態でありつつ、そこに中和すべきところを見つけていきます。中和の理は極めて深いものです。中和の正しい理を知り実践することは、五行のバランスにおいて全ての事象に好転をもたらすものです。

●源流

何処起根源 流到何方住 機括此中求 知来亦知去

いずこに根源起こりて、いずこに流れて至るや。機括をこの中に求めれば、来るを知りて、また去るを知る。

命式において根源とは、最も力量のある五行の干支ことです。この源流から五行が相生の順に流れていきます。
この流れの方向、流れが滞るところをもって、その命式の課題が明らかにされます。機括とは五行の流れが変化する要衝となるところです。機括がわかれば、運の流れの往来を知ることが出来ます。

●通関

関内有織女 関外有牛郎 此関若通也 相将入洞房


関内に織女あり、関外に牛郎ありて、この関もし通じることあれば、合い迎えて洞房に入る

ここで述べる通関は天干論のところで触れた壬の金と木を通関させる働き、その通関よりも広義の意味を持っています。 一つの天干の働きのことではなく、隔てられたものを、つなげる作用です。織女は織姫のことで、日主に喩えられます。牛郎とは彦星のことで、用神に喩えられます。関とは両者を隔てるものです。
隔てるものがないか、隔てるものを通じさせることが出来るのであれば、運気良好を得られます。
隔てるものを通じさせるとは、主に大運、太歳の巡りにおいて隔てる干支を剋去、合去、冲去等させるものが訪れることを意味します。

●清濁

1.一清到底有精神 管取平生富貴真 澄濁求清清得浄 時来寒谷亦回春 

ひとたび清くして底に到りて精神あれば、富貴直なるを管取する。
濁を澄ませて清きを求め、清浄を得れば、時来たりて寒谷に春が巡るものなり。

八字において清いとは、命式組織の配合が整っており、エネルギーが効率的に回っている状態を言います。
一清到底とは、命式が底からてっぺんまで清いことで、そうであるならば、そこには精神が宿ります。精神とは精妙、微細、繊細な精神活動という意味です。その結果として富貴を得ます。清に対して濁とは、命式のエネルギー循環、効率が悪く、目的適合的でない状態を意味します。雑乱とも言います。剋、冲、合によりエネルギーの流れが分断されていたり、偏りがひどく、それを是正するものがなかったり、調候なくエネルギーが弱いという状態は、皆濁のカテゴリーになります。 濁を修正することが出来たら、あるいは修正する時を見はからって、寒谷にも春が訪れます。
(その春を利用して運勢の改善をはかるべきです。)

2.満盤濁気令人苦 一局清枯也苦人 半濁半清猶是可 多成多敗度晨昏

満盤濁気は人を苦しめ、一局清枯なるもまた人を苦しめる。半濁半清はこれを可とすべきも、多成多敗して
晨昏(しんこん)にわたる。

命式に充満した濁りは人を大変苦しめるものです。命式に清い要素があっても枯、すなわちエネルギーが欠乏していたら(調候の欠落や日干が死囚休、あるいは剋される、無根等により)、人は苦しむものです。半分濁り、半分清い命式の場合には、これは社会全体としては一般的です。こういった命式の場合には、可もなく不可もなく平凡な生活を送る(晨昏にわたる)ことになります。

●真仮

1.令上尋真聚得真 仮神休要乱真神 真神得用平生貴 用仮終為碌碌人 

令上に真を尋ねて集まりて真を得るなれば、仮神が真神を乱すを止めなければならぬ。
真神が用を得るは貴にして、仮を用とするはついに碌々たる人なり。

この真仮は従化論で論じた格の真仮ではなく、用神の真仮のことを言っています。
令上に真を尋ねるとは、提綱の府を一つの基準として命式全体の旺相死囚休を求め、また命式の構造を検討し、用神の選定を行うということです。用神を上述したような視点で求めますが、各視点を統一して一つの真なる用神を求める必要があります。 仮神が真神を乱すとは、視点が一つに収まりきらないときは仮とせざるをえず、其の場合には、真ではないことを明白にしなければならないとしています。

仮神とは仮の用神のことです。仮の用神を取る場合には以下のようなケースが考えられます。
①本来用神とすべき干が命式に存在しないか、弱りきっているために取ることが出来ず、仮に取っている場合。
②用神は取得できていても、扶抑用神と調候用神が一致していない場合。

真なる用神を用いることが出来る人は貴となりますが、仮を用いざるをえない人は平凡な(碌々たる)人ということになります。

2.真仮参差難弁論 不明不暗受邅迍 提綱不与真神照 暗処尋真也有真

真仮の参差が論じがたければ、不明不暗にして邅迍(ちゅんてん)を受ける。提綱が真神を照らし暗所に真を照らせば、また真あらん。

真とは調候用神のように命式の中で1個の働きを持ったものです。仮とは真がないために代用されるものです。真と仮の差が論じがたいとは、真が存在しないか、真があっても取りがたいという状況です。邅迍(ちゅんてん)を受けるとは、滞るの意味です。
暗所とは大運、太歳といった命式外の場所を指します。命式の中に真がなくて運気滞っているとしても、大運、太歳によって命式にはない真が巡ってくることがあるので、それを待って、用いることが出来ます。


●恩怨(喜神・忌神)


両意情通中有媒 雖然遥立意尋追 有情却被人離間 怨超恩中死不灰

両意の情通じるに中に媒(仲立ち)あれば、はるかに立つといえども意は尋ねおうものなり。
有情なるも人の離間をかえって被るは、怨みは恩中に起こりて死して灰とならず。

情通じる、あるいは有情とは、干支どうしが、協力し合う関係にあるということです。いかに協力的であっても、八字の構造上、両者が直接作用し合うことが出来ず、媒介する存在がある場合には、ストレートに喜となるとは限らないです。
恩とは喜神による喜のことで、怨みは忌神による忌のことです。喜神とは運気を向上させる干支の働き、忌神とは運気を停滞、悪化させる、あるいは災厄をもたらす干支の働きです。喜神は用神を生扶し、助けるものです。忌神は用神に損害を与えます。
有情であっても両者に構造上の隔たりがある場合には、喜神を含む有情なものどうしの間にある存在が忌神を強めたり、喜の作用が妨げられたりして、必ずしも両者は吉とはならないものです。

●閑神

一二閑神用去麼 不去何妨莫動也 半局閑神任閑着 要緊之場作家

一二の閑神の用は去麼(きょも)なり。他を動かして何の妨げともならず。
半局の閑神も閑着にまかせて、要緊の場は自ら家を作らしむべし。

閑神とは、状況によって喜神とも忌神とも、どちらにでも転ぶ干支の働きです。
一つ二つの閑神の働きは去麼(些細なもの)で、用とはなりません。他のものが閑神に働きかけても妨げとなりません。 要緊の場とは、喜神が働かない状況ですが、その場合には閑神を頼みとするものです。

●羈絆(合神) 

出門要向天涯遊 何事裙釵恣意留 不管白雲与明月 任君策馬朝天闕

門を出て天の涯に向かい、遊ぶを要するに、何事ぞ裙釵(くんさ)の恣意に留めんとするや。雲と月にかかわらず、
馬を策して天閣に朝するを君に任せん。

裙釵(くんさ)とは、女性の衣服の裾と簪(かんざし)のことで、女性を意味します。門を出て、天の果てに向かって行こうとする(高い志に向かって進もうとする)のですが、意中の女性のことが気になって動けないという状況です。
これは日主と用神との関係において、日主が合して弱くなったり、用神が合して動けなくなることを意味します。あるいは貪合不化、
のように化すべきところで、化すことができない状況であったりします。

雲と月にかかわらず馬を策すとは、このような身動きできない状況が、冲起されることで破られることを意味します。それは大運や太歳の巡りによって冲が起された状態と言ってもいいかもしれません。冲は協力関係を破る働き(無情)ですが、冲によって身動きできない状況が打破されるのです。

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